国立ハンセン病資料館に行ってきた

中学生の頃、夏休みになると「○○文庫の100冊」のような夏のオススメ文庫一覧を全部読破するのが楽しみでした。本が大好きな文学少女だったので、年齢にしては少し難しいものも頑張って読み、ぼんやりとわかった気分になっていたものです。そんな本の中に、遠藤周作の「わたしが・棄てた・女」がありました。

新装版 わたしが・棄てた・女 (講談社文庫)
遠藤 周作
講談社 (2012-12-14)
売り上げランキング: 36,298

これは、ハンセン病と誤診されたことから、看護師となり静岡のハンセン病療養所で献身的に患者に尽くし、ナイチンゲール記章を受章した井深八重さんをモデルにした小説です。
もう30年近く前(!!!)に読んだものなのでおぼろげな記憶なのですが、ヒロインのミツがハンセン病と診断されたときの衝撃と、患者さんたちと接するうちに心が開かれていく姿が印象に残っています。

中学生だった私でも、この本を読んだ頃にはハンセン病が不治の病ではないこと、隔離する必要はないこと、差別を受ける謂れはないことは知っていました。なので、2001年に隔離を旨とするらい予防法が廃止された報道を聞いたとき、まさか今までこんな法律が生き延びていたなんて、と衝撃を受けました。きちんと事実を知ろうとしなかったことが、誰かを傷つけるかもしれないのだ、と強く感じさせられた出来事でした。


今日、清瀬市にある「国立ハンセン病資料館」に行ったのは、企画展の一遍聖絵[いっぺんひじりえ]・極楽寺絵図にみるハンセン病患者―中世前期の患者への眼差しと処遇―を見るためです。

仏教が日本に浸透していった中世、ハンセン病は「仏罰」とされ、患者はひどい差別を受けていました。業を背負った穢れの者、非人という思想が日本ではずっと続き、近年までの無理解につながっていきました。そんな中、ハンセン病患者や障害者とともに遊行した一遍と極楽寺に治療施設を建て救済に力を尽くした忍性という二人の僧があらわれます。今回の展示は、この二人に関する記録です。


一遍聖絵には、顔を包帯のようなもので覆ったハンセン病患者が描かれています。また、肌が赤くただれた人も見受けられます。この時代、完全に共同体から排除されていたハンセン病患者を信徒として受け入れていた一遍。彼が亡くなる場面を描いたものでは、他の絵では外れた集団を作っていた患者たちも、嘆き悲しむ人たちの輪の中にいました。

極楽寺の治療施設に関する展示では、その規模の大きさに驚かされました。衛生面でのケアも行き届いていたようでした。忍性はハンセン病患者を文殊菩薩の仮の姿とみなしていたそうです。

忍性―慈悲ニ過ギタ (ミネルヴァ日本評伝選)
松尾 剛次
ミネルヴァ書房
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忍性の名前は展示を見ながら「そういえば山川の日本史に名前載ってたような…」と思い出したくらいで全然知らなかったので、この本を読んでみたいと思いました。


企画展のあとは常設展を見て回りました。
ハンセン病の歴史と、過酷な状況下で患者たちがどのように生きてきたのかを展示してあります。
心をぎゅっとつかまれたのが、舌読という写真でした。両手も視力も失ってしまった患者さんが、舌を使って点字を読んでいる姿です。人として社会とつながりたい、という強い気持ちを感じて言葉を失いました。

資料館の入り口にはお遍路姿の親子像があります。故郷を棄て、お遍路に行くしか生きる道がなかった時代の苦難をあらわしています。



資料館の横は多磨全生園です。ここは全国に13施設あるハンセン病国立療養所の1つです。緑が多く、静かな場所です。誰でも通ることができます。


入所されている方々もかなりのご高齢と聞きます。そのためでしょうか、本当に静かで、緑の濃さが印象的でした。


今、私たちは、身近に病気の人がいたら「大丈夫?」って心配するし、看病するし、自分が病気になったら健康保険で病院に行けるのが当たり前と思っています。誰も、病気になったのは天罰だとか、前世が悪いからとか思ったりはしません。差別もしません。でも、病がスティグマだった時代もあったのです。
自分が難病となって、あらためて、この「当たり前」に至るまでに、どれだけ多くの人が苦しみ、戦って得たものなのかと考えるようになりました。私も自分だけのためじゃなくて、これから先の誰かのために、できることを考えたいと思います。

重いけど、行って良かったです。

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